目先の損得とか、名前を売るとか、そういう事に敏感になって、
何が幸せかとか、何を感じ取ることがありがたいのかとかそういう視点を蔑ろにしてた。
心を整えることも自分の責任。
いや、それが全てではないだろうかとさえ思える。
自分の心が貧しくなりつつあることを、社会が汚れてるとか、他人のせいにしているうちは、多分、変わらないだろうな。
気持ちが乱されても、素早く立て直すこと、豊かなものを見ること、見ようとすること。
常に心をそこにもっていかないといけない。
つまり、サングラスをかけてモノを見ればすべて暗く見えるし、赤いセロファンを張った眼鏡をかければすべて赤く見える。
でも、それって自分が選択したことなんだよ。
自分の機嫌を整えるということは、暗いものの見方をやめればいい。
だったらどうするか、サングラスを外すことに他ならない。
それこそが、自分の機嫌は自分でとる。
その言葉の本質のような気がする。
確かに、渦中にいるときに、それは悪意があって嗾(けしか)けてきてるものに対して、
腹を立てるのは当たり前じゃないかと怒った。
でもそうじゃない、気づけというメッセージであったのかもしれない。
おまえがサングラスを外さない限りは。
一生暗がりの見方をすることになる。
自分の機嫌は自分でとる。
おまえが見たくて見てるという世界観であるということを忘れるな。
おまえが幸せであるという見方をしていれば、何を見てもそう感じるはずだ。
そのことに気づきなさい。
そう、別所さんは言ったのではないのだろうか?