タネを撒く

常識を疑うことは大切です。

私たちは学生までの間、これはこういうものだという「定義」を徹底的に教え込まれました。

生まれて、言葉を覚え、ママ・まんまと発することができたのは、親の導きがあったからです。

多かれ少なかれ、親が敷いてくれたレールの上を走りながら、いろいろなことを学び、

多くの仲間との接点を通し、今までやってきました。

その中で、親や先生たちは、まだ右も左もわからない私たちを指導するために、

一つ一つ型をつけてくれました。

これは、挨拶という型。

これは、礼儀という型。

これは、食事という型。

これは、休むという型。

なぜ休むのか、なぜ挨拶をするのか、なぜ勉強するのか。

そういうことは説明はあったかもしれませんが、一人一人腑落ちする納得の形で受け取るということを優先するより、

まず、四の五の言わずに、受け取る。正しいモノだと仮定して、取り入れる。

そういうことをしてきました。

その結果として、社会に出たときに、他人と共通の言葉、モノの見方を合わせていくことができたり、

協力して仕事を成し遂げることができるように、教育していただいたんですね。

さて、これから先の人生、

親元を離れ、自分自身で進路を決めて、自分自身で舟をこいでいかねばなりません。

その時、正しい型を教えてくれる人を自ら見つけに行って、

もっともっと自分にとって大切なアドバイスを受け取ることができる、心のバリアを取り払いましょうということを伝えたいと思います。

妄信し過ぎてもいけないし、

疑ってかかっても十分に受け取れない。

そんな微妙な関係ってしばらく続くと思います。

自分を失うことなく、

先生の指導を輸入するためには、

妄信してはいけないと思います。

そこに葛藤を持ってほしい。

簡単に受け入れて、洗脳されることの方が楽じゃないかと思います。

でも、自分とその型との間に、対話を持ってくださいとお願いします。

私も、とりあえずやってみるということで多くのものを受け取ってきました。

でも、自分の考え、心の持ち方、哲学。

今まで経験したことのないような場面に遭遇した時に、指針となる判断のよりどころを養うために、

新しく出会う先生の教えの間に、

対話を持ってほしい。

そういう思いがあります。

会社で、なんでそんなことしないといけないんですか?

なんて言ったら、めんどくさいやつだと思われますが、

いい仕事をするために、お聞きしておきたいので、教えてくださいと尋ねることはできると思います。

阿吽の呼吸だけに頼らず、

時には立ち止まって、考える。

そういう事も大切だと、私は考えています。

正月に読んだ本の受け売りになりますが、

自分の頭で考え、行動するチーム。

そんなチームであって欲しいと思って書きました。

本格始動すると忙しくなると思います。

まず、自分が元気であり、そして元気を分け与える。

そういう仕事を言動一致でやってまいります。

新年の抱負、雪だるま式に膨れ上がり気味ですが、できるところからやっていきましょうよ。

頑張ります。