年齢にふさわしい会話とか、関係性ってあるのは承知しているが、
軽口を言い合える関係も悪くはないよなって。
いや、誰だか知らない人からいきなり土足で上がり込むようなこと言われれば頭にくるかもしれないけどさ。
それをいなしてというか、やり過ごしながらも、
何飲みたい?今度行きたいことがあるんだとかって言い合える関係って、憧れちゃうなぁ。
理想と正義に憧れて、それしか自分を縛る規範がなかった青春時代に、
僕自身に相手の失敬を許せる度量と、相手に僕の不真面目さや失敬を許してくれ、お互いに分かり合おうとする友人がいたとしたら、
何か今と違っていたのかもしれないとか。
受験のために勉強に集中することもある意味で大切だけど、
友達と過ごす時間、相手をわかろうとしてコミュニケーションを取ろうとした経験が僕の人生の中に加わっていれば、
今、この歳になって、どんな化学変化が起きていたのかとかそういう証明できようもないことに、いい結果を求めようとする何か、能天気な期待が頭を過る。
タイムライン読んでる暇があったら、判例を読んでみようとか、少し意識が変わってきた。
いづれにしてお、僕のした選択が、もしかしたらのちの自分に影響を与える何かを引き起こすかもしれないという可能性を感じつつも、
もうこの歳だし、今更なんてとあきらめたようなことをいうのは、明日を生きられなかった人に対する冒とくだということを、しっかり胸に刻まなくてはならない。
明日は行政法の通読を完了できるぐらいの意気込みでとりかかろう。
ブログ、日記をつけることで、やったことに対する客観視をする方法を得たような気がする。
窓を開けている。
風が気持ちいい。
まだ今日なすことをやり切れていない。
頑張って読み進めよう。
鶏レバーの佃煮を仕込まないと。
プログラミングに追われていない時の自分って、意外と自由奔放なんだなと思う毎日です。
もしかしたら、明日、死去しこの続きをかけないかもしれない。
精いっぱいやれたかどうか、毎日問いたい。