今年こそは、作業ログをつけようと新年の抱負を建てた。
しかし、作業に追われたり失念したりして、ちゃんとログをつけることを忘れている。
確かに、何かを作るための手順を記録しておく用途のメモも必要だとは思うが、その時に何を考えていたのか、どうしてそういう発想に至ったのかなど、気まぐれに任せて作業をしている自分にとっては、後で振り返って結構謎な部分もある。
何をしたのか、どのくらい深堀したのかをちゃんと記録をつける習慣をつけるようにしたい。
引き続き習慣化するまで、優先事項・高に設定することにする。
もう一つ、自分を戒めたいけれど。
何か得体のしれないものの攻撃を受けると、又あるのではないかと懸念する。
不測の事態に備えるという意味では、必要な心構えかもしれないけれど、
ここでなさなければならぬことを蔑ろにしてまで、恐怖を優先させるべきじゃない。
確かにあれば、嫌になる。
でも、そこを乗り越えている人もいるはずだ。
タフであることも、その人の能力であることは事実。
打ち勝つというのは、人に勝つことではない。
自分自身の抱く恐怖に打ち勝つことかもしれない。
いやそれそのものだ。
何かがわかっていればそれは恐怖ではない。
何かよくわからないから、それが恐怖になる。
全てを知ることはできない。
だから恐怖はなくならない。
でも、生きなければならない。
わからない中を歩かねばらなないし、進んでいかないといけない。
口で言うほど易くないが、事業を行う会社の社長であったとして、すべてわかって進んでいくわけじゃない。
少なからず、弱みをもって、わけがわからない中を進んでいかないといけないという宿命は回避できない。
それを克服する心構えを問われているのなら、積極的に行動するべきかもしれない。
家の中にいても、安全ではない。
安全である、と、守られるべきであると勝手に解釈しているだけなのかもしれない。
閉じこもることに対する社会からの挑戦なのかもしれない。
守られていることへの挑戦であろう。