エンカウント

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袖振り合うも他生の縁。
普段生活していて、気付かない出会いの中に、確実に自分自身に影響を与えている出会いがあるのではないだろうかと自覚することがある。
たった一度の出会いが、確かに影響を与えた、影響を受け取ったなんて話がありました。

行きつけの喫茶店でコンサートがあるというので日曜日の夕方、出掛けてきた。
いつもなら、山下達郎のサンデーソングブックを聞いた後、小山薫堂・宇賀なつみのサンデーズポストを聞いて、缶チューハイの蓋を開ける週末最後の楽しみが乱されたような気がして、出掛けることに躊躇していた。

音楽が好きで好きでたまらないというわけではないが、
一度機会があって、この喫茶店のコンサートに招待されたときに、クラリネットの発する生の音に魅了されて、心を揺さぶられた。
プロの演奏家のライブを聞く機会はそうそうない。
迫ってくるような迫力と会場の一体感。
そういうものを感じてみたくて、また出かけたわけである。

今回は、筝曲家のお二人を招いて、和合奏の2時間をじっくり楽しんだ。
一部、二部と6曲づつ演奏が行われ。間に、ティータイムを挟んだタイムテーブルだったが、引き込まれるようにして演奏に聞き入った。いや、見入ったのである。
琴の演奏をまじかで拝見することが、今までの人生でなかったもので、身を乗り出してみてしまった。

特に関心を引いたのは、箏の調絃。
曲ごとに、琴柱と呼ばれるブリッジを左右させてチューニングを合わせている様子だった。おそらく、箏という楽器の特徴だと思うのだが、低調子と呼ばれるキーと高調子と呼ばれるキーで、調弦を変える。ギターやバイオリンであれば、絃の配置によって、調弦は一定で固定である。ギターのプロの演奏家の中には、6弦をDに落としたりして、ドロップDなどというチューニングにするなんて話を聞いたことがあるが、一般的には開放の音は変えない。

物理弦の調絃を変えるということは、頭の中で調弦の配列の切り替えが必要だ。
2パターンの調絃を器用に切り替えて、弾むようなメロディーを刻んだり、地唄の伴奏をしたりする。

家に帰ってきてインターネットで調べたところによると、箏の世界には、私たちがよく知っているような西洋の音楽の音階がない。ヨナ抜きと呼ばれる5音階で構成されているらしい。

コンサートでは、確かに古典の演奏がされていたが、美空ひばりの川の流れのようにや、葉加瀬太郎のエトピリカが演奏された。当然長音階で7音。場合に寄っては、12音必要な曲でもあろうかと思われる。どうやっているのか不思議だが、どうやら、琴柱の外側の弦を押し込んで、半音上げたり一音上げたりできるようなのだ。調弦でアサインがない音をチョーキングで作り出す。その事実を知って、かなりびっくりした。

普段、ポップスやJazzを好んで聞いているので、日本の古典音楽は趣味じゃないなと思って、一度は誘いを断った経緯がある。
残念ながら、演者の方の繊細なプレイを楽しむほど耳が肥えていないので、評価に値するような言葉が見つからないのだが、理屈の上で、とても困難なことをいともたやすくやっていらしていることが分かり、とても驚いた。

普段、自分の世界に籠って、音楽を聴いたり、プログラムを書いたりして生活をしている。でも、実際には扉一枚挟んで向こう側には、自分と世界を異にする伝統芸能の世界で生計を立てて入る人がいたり、スポーツで生活をされている方もいる。自分だけの世界に引きこもって、周りが見えていないとき、ちょっと出かけて音楽を聴くだけでも、新しい風が吹き込んでくるようで新鮮な気持ちになる。

ご紹介いただいた喫茶店のスタッフの方、筝曲家の皆さんには、心から感謝申し上げたい。