冬景色

演歌歌手の石川さゆりさんの歌に、津軽海峡・冬景色という曲がある。ものがなしい北国の冬の海に失恋した女性の心模様を反映させた名曲で、のどに自信のある人はこぞってカラオケに挑戦するようだ。一方、海雪という曲がある。こちらも歌手のジェロさんが、日本海の荒々しい波の動きに、失恋した女性の心の動静を演歌の調べに載せて見事に歌い上げている。いづれにしても、日本の冬と失恋女性の一人旅とは、切っても切り離せない関係にあるようで、日本海から北海にかけての厳しくも荒々しい海の息遣いが連想され、曲の主人公のやり場のない失恋の痛みを表現するにはもってこいの情景であることには違いない。
さて、極東日本の冬景色が、海や失恋に代表される荒々しさが物語る一方で、西欧諸国の持っているイメージとはどういうものであろうか?アンデルセン童話の中に、「マッチ売りの少女」という話がある。父にマッチを売り切ることを命じられ、健気にも寒空の下通りに立って、訝しげに通り去る人ごみの中で、暖を取ろうとマッチを擦り、その炎の中に亡くなった祖母の幻影を霞み見ながら、凍えて死んでいった少女の計り知れない憐みの物語に象徴されるような、やはり、冷たい処遇に耐えながらも、裕福な一般家庭にある暖炉を囲む家族の温かさと対比された淋しさがある。
また、一方で南半球オーストラリアに思いをはせると、青い海に白い砂で作ったスノーマンが、北半球とは対照的で、開放的なビーチに広がる波しぶきをかきわけて、ウェイクボードで子供たちへのクリスマスプレゼントを運ぶサンタの姿が浮かんでくるような、陽の空気を漂わせてくれる。だが、真夏のメリークリスマスとはよく言ったもので、クリスマスが来ても温かいだけで、季節としての冬は当然としてあるようだ。オーストラリアは、広大な国土が広がる大陸であるため、一概にしては語れないようだが、真冬には雪が降るらしい。気温もかなり下がるらしいので、日本から旅行に出かけるには、夏なのにダウンジャケットを着ていかなくてはならないような、ヘンテコリンなことになるらしい。そのうえ、オーストラリアで風邪をひいて帰って来れば、高温多湿な日本の真夏の中で、クーラーをかけた部屋の中で、頭から布団をかぶって凌がなければならない、大変な思いをすることも予想に難くない。
日本の冬は、厳冬のなかを数か月先の春の到来を耐え忍んで待ち受ける、陰の性質のある季節のように感じる。事実、九月に入り秋が本格化してから、正月元日までは秋と冬の境目が曖昧で、暦の上では、立冬だとか言っても、ちょっと歩けば汗ばむような小春日和である日もあるわけで、冬至に至っても、一週間もすれば、新春がやってくる微妙なスケジュールに組み込まれた、暦である。昨年、父の誕生日に駅前の花屋で購入した紅梅のつぼみが膨らみつつある。日本海側の気候は、まだまだ厳しく雪降り積もる毎日が続いていると報道されている。新春とは人々の心の中に、厳しい冬を超えたいが故の願いであり、一年の中で一番寒いとされている時期の到来は、まだまだ、これからである。